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【2025/06/18 22:17 】 |
7月2日(水)、長崎二
6月27日(金)、長崎は今日も雨だった。(;д;)
傘をさしながらの観光は気が重く、N崎さんが出勤した後、O田さんとボチボチ起き出し、A田夫妻に電話。予定通り8:35に長崎空港に着いたことを確認し、9:30から出かける。

この古い建物は現役の交番。


あっ、夕べ食べたお好み焼き屋だ! 腰をかがめて入る低い入り口で思い出した。


正覚寺の名言、「人間とは 楽を求めて 苦しむ動物である」


11:00天天有でA田夫妻と待ち合わせ。少し早いランチはチャンポン、中華丼、皿うどん、炒飯に餃子がついたセットを注文、シェアする。



ランチを早くしたのは朝食を食べてなかったし、何より端島(はしま、別名軍艦島)上陸ツアーは12:00からだと思ってて、食後タクシーで乗船場まで行くと13:00からだった。ゴメンなさい! スタバで時間つぶし。

オランダから徳川幕府に贈呈された日本初の木造蒸気船の復元。クルーズ船として使われているから観光丸かと思ったら、1856年に観光丸と改名され、幕府海軍の練習艦だったそうだ。


端島は長崎港から約30分。海底炭坑で栄えた島で、波が高いと上陸できないが、この日は大丈夫。でも傘は禁止なのでカッパを着て見学。とはいっても1974年(昭和49年)の閉山で無人島となり、2009年に上陸が解禁されたが建物が老朽化し、3つの見学広場をつなぐ通路しか歩けない。





7階建ての建物は、1〜4階が小学校、5〜6階が中学校、7階は特別教室。


赤レンガの建物が、鉱山の中枢だった総合事務所。


第二竪坑(たてこう)の桟橋への階段が、かろうじて残ってる。


1916年(大正5年)に建てられた、日本最古の7階建て鉄筋コンクリートのアパート。




草木のない瀬にすぎなかった島は、1890年(明治23年)から三菱の経営となり、主に八幡製鉄所の製鉄用原料炭を供給していた。炭坑の開発とともに従業員住宅の建設が進み、最盛期の人口は5200人。当時の東京の9倍を超える人口密度は世界一と言われた。


採掘技術の発達とともに6度にわたって海を埋め立て、周囲1200m、当初の約3倍の大きさとなり、その姿が軍艦土佐に似ていることから軍艦島と呼ばれるようになった。





左の白い建物は病院。大きな台風が来ると海水が島を越え、雨のように降ったそうだ。




15:30港へ戻り、鎖国時代に唯一開かれていた人口の島、出島へ。勿論現存していたわけではなく、現在も復元工事が続いている。


夕食は安樂子(あらこ)へ。


長崎はメニューに鯨が多い。この白いのも鯨だって。






食後、全員でN崎邸に移り宴会。ホテルをとっていたA田夫妻が帰ったのは覚えているが、いつ寝たのか、全く記憶にない。^ω^;
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【2014/07/02 20:00 】 | 徳島2014年03月28日〜 | 有り難いご意見(0)
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